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豊前吉右衛門窯は、1949年の春、永末吉右衛門(晴美)が生家近くに自ら築いた小さな登り窯に火を入れて始まりました。窯名は豊前吉右衛門窯。豊前は旧国名、吉右衛門は窯のある場所が吉右衛門谷の入り口に位置することから命名しました。
吉右衛門谷には豊前小倉藩主が、まだ細川公時代(安土桃山時代)の上野系の窯跡があります。1955年には四間のすこし大きい登り窯に築き替え、年に1、2回のペースで盛んに陶炎を上げておりましたが、1970年代はじめにガス窯を導入しました。この登り窯は1990年の工房建替えまで有りました。現在は大・中・小のガス窯、灯油窯三基で焼いています。作風は、初期の頃より絵付けされた陶器作りを目指し、1950年代半ばより吉右衛門によって、刻染付(ほりそめつけ)の独特の作風が編み出され、以後刻染付、染付、青瓷、藁白、などを中心に創作を続けております。
1984年に修策(吉右衛門長男)が10年間に渡ってメキシコで陶芸の指導を続けていた生活にピリオドを打ち帰国し父を手伝っておりましたが、2005年2月に父が他界の後は他に類を見ない吉右衛門窯の陶器の美しさを守り、また新たな世界を生み出すべく孤軍奮闘、日々精進いたしております。これからのどうぞ宜しくお願い申し上げます。
| 1917年 | 3月3日福岡県田川郡方城町に生まれる。 |
| 1938年 | 応召、南支戦線へ。 |
| 1944年 | 戦傷復員。上野焼高鶴本窯の先々代・高鶴城山氏の窯へ遊び陶芸の道へはいる。 |
| 同年秋、 | 評論家・陶磁研究家(故)美和弥乃助氏と知り合い、強い影響をうける。 |
| 1946年 | 京都・宇治の朝日焼、十四代(故)松林豊斎(猶香庵)に師事。 |
| 1949年春 | 生家の近くに開窯、豊前吉右衛門窯とし、作陶生活に入る。 |
| 1963年 | 福岡・天神岩田屋にて個展。 |
| 1964年 | 福岡・天神岩田屋にて個展。 |
| 1988年4月 | 黒崎・そごうにて個展。 |
| 1998年5月 | 傘寿を機に、福岡・天神岩田屋にて記念展。 |
| 2000年10月 | 小倉・井筒屋にて、開窯50周年記念展。 |
| 2001年5月 | 東京・新宿伊勢丹にて、吉右衛門・長男修策・二男隆平(備前焼)父子3人展。 |
| 2001年10月 | 福岡・天神岩田屋にて、吉右衛門・修策・隆平(備前焼)父子3人展。 |
| 2002年3月 | 広島・ぎゃらりい『翠』にて吉右衛門・修策父子展。 |
| 2002年10月 | 高松・ギャラリイ『河野』にて吉右衛門・修策・隆平(備前焼)父子3人展。 |
| 2003年10月 | 東京・新宿伊勢丹にて吉右衛門・修策父子展。 |
| 2004年3月 | 広島・ぎゃらりい『翠』にて吉右衛門・修策父子展。 |
| 2005年2月 | 永眠 |
| 1949年 | 6月1日福岡県田川郡方城町・永末吉右衛門(晴美)の長男として生まれる。 |
| 1967年 | 福岡県立田川東高校卒。 |
| 1968年 | 愛知県立高等窯業専門校卒。 |
| 1969年より | 京都・宇治朝日焼、(故)松林豊斎(十四代)に師事。 |
| 1973年10月 | メキシコへ渡る。 |
| 1973年より | メキシコ州政府工芸振興局勤務。 |
| 1974年より | ナヤリ州立大学工学研究所勤務。 |
| 1977年より | メキシコ国立自治大学工業デザイン学科勤務。 |
| 1979年より | メキシコ国立工芸振興基金(FONART)勤務。 以上の政府機関・大学等で陶芸指導、研鑚をつむ。 メキシコ滞在中、個展・グループ展多数 |
| 1983年12月 | メキシコ合衆国、先住民担当相より、特別表彰受ける。 |
| 1984年1月 | 帰国。父、吉右衛門(晴美)と共に作陶生活に入る。 |
| 1998年5月 | 永末吉右衛門傘寿記念展を企画出品。福岡・天神岩田屋。 |
| 2000年10月 | 小倉・井筒屋にて、開窯50周年記念展。 |
| 2001年5月 | 東京・新宿伊勢丹にて、父子3人展。 |
| 2001年10月 | 福岡・天神岩田屋にて、父子3人展。 |
| 2002年3月 | 広島・ぎゃらりい『翠』にて、父子展。 |
| 2002年10月 | 高松・ギャラリィ『河野』にて、父子3人展。 |
| 2003年10月 | 東京・新宿伊勢丹にて父子展。 |
| 2004年3月 | 広島・ぎゃらりい『翠』にて父子展。以上、年間2回程度の個展開催。 その他、西部工芸展、西日本陶芸展を中心に出展。 |
吉右衛門の二男・隆平は岡山県邑久郡長船町在住。備前焼の作家として、
活躍中です。備前焼による和食器造りで、たいへん好評を得ております。
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吉右衛門が名づけた造語です。陶器の素地がまだ半乾きの時、鋭い鉄筆様の道具で文様を刻(ほり)ります。その後、乾燥、素焼きを経て刻られた細い溝状の線に顔料(呉須、鉄など)を入れ、その後、彩色したもの。 本来、染付とは大陸伝来の技法で、呉須(コバルト)を用いて彩色、絵付けされたものを言いますが、当窯では、呉須を中心に鉄も含め、刻染付以外の筆で彩色されたものを称しています。 |
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青瓷は大陸伝来の技法でよく知られておりますが、青瓷も色々なタイプが有ります。 稲藁を焼いた灰で作った釉薬を施して焼かれたものです。よく知られた釉薬でもあります。当窯では素地に大まかな絵付けをして、施釉し焼いています。 |
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